自分だって

ある人たちの選択によって、私が実は心くじけて、気持ちが萎えて、ガッカリして、立ち上がるのが大変だった、ということを、彼らはおそらく知らないし、私も彼らにそれがわかるような態度は取らないようにしようと思っているのを、お人好し、と言うのだろうか。本当は涙ながらに悪態のひとつやふたつもついてやりたいと思うけど、できない。だって、もしかしたら自分だって、誰かをそういう気持ちにさせてるかもしれないから。

ふんわりと

昨日から、小淵沢でのゴスペルが再始動しました。朝からフル回転で動いて夕方前に車で出発したので、談合坂でちょと仮眠。ウトウトして、身体温まってきて、ふと思う。こうして、健康で、好きなことやって、好きなドライブして、うち帰ったらたかぽろさんいて、幸せなのかもしれないねぇ。こういう幸せ感は、数年前にラブセンで、去年ジャクソンとバトンルージュで感じたのとおなじ、ふんわりした幸せ感でした。でも、幸せなんて感じたらいけないんじゃないの?そんな負け犬根性もいつの間にか染み付いてることにも同時に気づいたりもしてね。

このために用いて頂ければ本望

 私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。

ヤコブ5:19-20