再会

先日も書いた通り、以前仕事を一緒にした方(関連会社の人)と先週食事をした。彼とは前も書いた通り、ある仕事を共にしたが、そこで大問題が発生してしまい、始末書を書いたり、社長同士まで話が行ったりと、互いに大変なところを通った。
その後しばらくしてあった際は、ブログにも書いた通り、問題が解決して、さらに僕がクリスチャンであることを伝えて、ミスをした彼を一貫して責めずに、彼がそのことにすごく感心して、という所でその日は別れた。
その後、メールなどではたまにやり取りしていたが、先週先方から「会って食事でもしたい。ゆっくりいろんな話がしたい」という連絡があり、それが実現した。
僕のオフィスビルに入っている料理屋で、現在の仕事の状況などを簡単に話した後、彼のプライベートの話、信仰の話、問題が起きた当時の話などが展開された。
彼は今ある仕事の責任者をしているが、実は問題が起きた会社からも、その後も何億という大きな仕事をもらい続けているらしく、まさに「損して得取る」「災い転じて福となす」状態らしい。これにも、僕は少し手助けしていたので、すごく感謝された。以前、関連会社の取締役の方からも直々にお礼を言われた。
そして、彼はプライベートの話をいろいろ教えてくれた。それによると、「先日大親友が亡くなった」「父親も以前亡くしている。その時にいろいろな宗教らしきものに家族がすがったがダメだった」「親戚が皆ある宗教に入っているが自分はそれを信じない」などであった。それらについて、一つ一つ聖書のみことば等を引用しながら、話させてもらった。「いずれ死は誰にでもやってくるが、聖書では死をどう教えているのか」という問いもあり、聖書を引用して答えた。また、「怪しい宗教らしきものが買えと言ったお札のようなものは捨てて良いのか」という問いに、大丈夫と答えた。さらに、「神様がいるのは分かる気がするが、何が本当かが分からない」と言っていたので、聖書が教える三位一体の神(父、子(イエス・キリスト)、聖霊)の話もした。また、「テレビに出てくる霊能者は本当に力を持っているのか」という問いには、無いと答えた。「親戚が入っている宗教は一体何(誰)を信じているのか」という問いにも答えたが、その宗教には真理はないとはっきり答えた。
また、彼はイタリアの教会で結婚式を挙げてから、宗教に興味を持ったとのことで、ユダヤ教キリスト教イスラム教の違いについても尋ねてきた。昔の湾岸戦争や今のイラク問題も聖書の視点から解説し、3つの宗教の違いも解説した。さらに、カトリックプロテスタントの違い等も説明した。
このような話を一通りして、彼も「いろいろ分かった」と言ったが、「まだ神様がイエス様という部分がよく分からない」という正直な感想を漏らしていた(後日、メールが来て、有意義な話ができたことを感謝され、今後もまた宜しくとのことだったが)。
そして、夜も遅くなってきたので、うちの教会の賛美CDとパワー・フォー・リビングをプレゼントして、そろそろ帰宅かなと思ったが、「時間、もう少し良いですか?」と言われ、問題が発生した頃の話をしてくれた。その頃はメチャメチャ落ち込んでいて、自分の上司にも叱られる、うちの上司や営業にも文句を言われる、など大変だったが、「最初から最後まで唯一励まし続けてくれたのは、たかぽろさんだけだった」と言ってくれた。それを奥さんや会社の後輩達にも言っていたらしく、それまでうちの会社には良い印象がなかったそうだが、「たかぽろさんのお陰で好きになったし、僕もたかぽろさんみたいになりたい(他人が問題を起こしても平常心かつ優しい心で接したい)と思った」と告げられた。僕はここまで言われるとさすがに恐縮してしまったが、「それは僕の中に共にいて下さる方(イエス様)のお陰です。それで僕には平安があったし、赦そう、相手の立場で物を考えようと思ったんです」とイエス様に栄光を帰した。それから、聖書のみことばを引用しながら、こういう気持ちで接していたと当時を振り返った。彼が一番落ち込んでいた時、僕と携帯で対応策の検討を話していた時のことを教えてくれた。その電話は3つぐらい要件を話したらしく、最後に僕が「もう一つ心配なことがあります」と言ったらしい。それを聞いて彼は僕の会社の人達からいろんな電話を受けていたので、「またか、今度は何だよ」と心の中で叫んだとか。でも、僕は続けて「○○さん(彼)の身体が心配です。」と言ったらしい。それがすごく彼の励ましになったらしく、携帯で話しながら、駅に向かっていたらしいが、涙が止まらなかったと言ってくれた。僕も本当に心身ともにきつかったので、聖書にあるように「自分にしてもらいたいことを他人にもせよ」という教えに従って励ましたのだと思う。
このひと言で、彼いわく「僕が他の誰よりも大きい器の人に見えた」とも言ってくれた。これに対しても、「神様がこうしろ!ということ(なすべきこと)をしただけです」と答えたが、心の中で主にハレルヤ!と叫んだ。
かなり長くなったが、このような話をしてその夜は別れた。
僕はいつもいろんな人に伝道し、頻繁に話をしているが、今回は結構盛りだくさんな話ができたので、一例としてありのままを書いてみた。改めて、「いつでも主を証しできるように、準備は重要だな」と思った。みことばの蓄え(聖書通読・ディボーションは欠かさずやっているが)、祈り(まあまあかな)、賛美(ipodでいつもゴスペル聴いているけど)、そして宗教の研究(今回も話に出たイスラエルの歴史や、人類はどうやって誕生したかとか、終末論その他諸々)は常に叩き込んでおくことが重要だと改めて思い知らされた。その他にも、パッションの映画の話とか、ダビンチ・コードとかの話もしたので、そのあたりの領域も抑えないと。
でも、僕らができるのはここまでで(教会に誘う所まで)、あとは神様に委ねて、その人達が救われることをただ信じて祈ろうと思う。