身軽に生きる

父が退職後にのんびり暮らそうと用意していた家が売れた。
父が天に帰って3年、母は北関東と東京を車でひとりで行き来するのは負担だったので、母が元気なうちにかたがついてよかった。

家を引き渡すにあたって、当然のことながら、家の中をからっぽにしなければならなくなった。
4月はその作業のために何度かその家に赴いた。

出てくるわ出てくるわ。

本当にいろんなものが出てきた。

父が死んだ後、本やら洋服やら、少しずつ処分していたと思っていたが、あるわあるわ。

父が学生のころ使っていた教科書、本、小遣い帳、日記、手紙の山々。

手紙の中には、まだ両親が独身のころのものも残っていた。

社会人になったばかりの父に宛てた、妹たち(私の叔母にあたる人たち。全員故人)からの手紙もあった。

独身の母から父に宛てた、なんとも可愛らしい手紙もあった。

父が独身最後に母に宛てた手紙には、「これが独身最後の手紙になりますね」と書いてあった。

母のものは、家計簿が全部取ってあったりして。

花瓶だの、日本人形だの、掛け軸だの、使っていない毛布だの、シーツだの、端切れだの。

何でもかんでも取ってあった。

高度成長期を生き抜いたひとたちは、捨てるのが難しいのね。

かくいうわたしも、幼稚園のころに描いた絵だの、通信簿だの、文集だの、なんだか知らないけどたくさんとってあって。

読んでは捨て、写真に残しては捨て。

捨てて捨てて、捨てて捨てて、捨てた。

最後は業者さんに来てもらって、全部持っていってもらった。

幸い、家具などの大物は、もらって下さる方がいたり、次に入る人がもらってくれたりと、引き取り手は無事ついた。

身軽に生きてかなくちゃいけないなって、痛切に思った。

実際、父は天国に何も持っていけなかった。

私だって近い将来そうなる。

私には片付けてくれる人がいないんだから、余計身軽になっておかなくちゃいけない。

甥と姪に、本当に最小限の迷惑ですむようにしとかないといけない。

そんなことを痛切に思ったのでした。