納豆問題

あるある大辞典という番組で「納豆はダイエットに効果有り」と放送されてから、スーパーでは納豆の品切れが続出した。そして昨日、番組が「やらせ」であったことが発覚した。

このことに関連していくつか。僕は元々この類の番組は殆ど見ないことにしている。じゅんぽろにもよく話しているが、データも信憑性がないと思っているし(統計学的にサンプルが全然不足している)、ある物をこの番組では良いと紹介されても、例えば他の番組では悪いと紹介されたりするので、物の評価が二面性を持ってしまい、何が真実か・良いのかが分からなくなるから(何でも良いが、例えば、コーヒー等はその代表かも)。

自分で体感して、何が良いのかを見極めるようにしているし、情報も何が真実かを読み取る訓練をしているつもりだ。僕はスポーツ新聞も愛読するが、ウソが多いので、どれが真実かを見極める訓練になると勝手に思っている。

また、今日礼拝で牧師も言っていたし、ハーベストタイムに先週・先々週ゲストで出た服部氏(ひきこもり問題の研究家)や司会の中川先生も常々言っているが、日本人は江戸時代の鎖国政策(徳川家康)の影響で、今の思想が根付いてしまったと思う。クリスチャンになることを拒む人が多い(福音が広がらない)背景には、特に五人組制度の影響が大きいと思う。

納豆問題を考えた時にも、「人が買うから自分も」「マスコミがやせると言うから、とにかく納豆を買わないと不安」という意識が強かったのではないか?日本人というか、人間の弱さかも知れない。人と比較しちゃうし、皆が良いというものにすがってしまう。。。

僕は仕事で需要予測や在庫計画のコンサルタントをしているが、食品関係の企業と話をすると、この番組の影響はかなり大きいらしい。みのもんたの昼の番組と、あるある大辞典の動きは需要に大きく影響するので、放送予定が分かった瞬間に「対応を即時に始める」とどの企業も話している。

あるある大辞典が存続するかどうかはよく分からないが、それはともかく、やはりぶれない軸を持つこと、情報に振り回されないこと、などが改めて大事だなぁと思った。そして、思い出した聖書のみことばを最後に。

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです(ヨハネ14:6)